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「アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズとの大セッション大会」編
第一回/第二回/第三回/第四回/第五回/最終回

「テナータイタン!リトルジャイアント!ジョニーグリフィンとの出逢い」編
第一回/第二回/第三回/第四回/最終回

「遥かな道、テナー街道」編
第一回/第二回/第三回/第四回/第五回

第一回 「だれ…?まさか!」
(アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズとの大セッション大会)

 1977年当時、私は大学で勉学にいそしむかたわら…おっと失礼!
いそしむふりをするかたわら、夜な夜なライブ活動の青春時代でした。


大阪梅田の太融寺近く、そう、梅田地下センターの「泉の広場」を上がってすぐの
ビル地下でした。仮名「バーボンタイム」とでもしておきましょう。この名前、
関西の音楽、ライブ好きの方なら「はは〜ん」と思われるでしょう。


 その日いつものように23時頃ライブを終了し、サックスをケースに入れて、
店のオーナーとメンバー、数人の常連のお客様に「お疲れ様でした!」
「ありがとうございました」と声をかけ、店の階段を駆け上がりました。当時は
車で移動していましたので、パーキングの閉まる23時に間に合うよう演奏終了後、
急いで車に向かうのが常でした。(今では多少?アルコールを嗜む為に、
車では移動しませんが、その当時は音楽に没頭していましたのでアルコールは
嗜みませんでした。今はそのときの反動がきついのかも?)


パーキングというのが「バーボンタイム」から少し離れていて、店の前の幹線道路を
渡り、東通り商店街の奥に有りましたので、その繁華街のアーケード沿いの道を
小走りに…すると、後ろから低く太いハスキーな声で


Friend!! Boy!!」

と叫ぶ声。

その頃、ディスコが流行っていて、その界隈にはライブディスコが数件あり、
外国人ミュージシャンが多く居ましたので、パーキングまで急ぐ旅中の私は、
軽い挨拶のつもりで、

「はーい、グンナ〜イ」


と日本語英語を駆使?して振り返りました。繁華街とは言う物の、ネオンの光が
眩しすぎて、逆に薄暗ささえ感じる様な所だったのですが、相手が黒人の
男性である事だけは認識できました。


私の返答が可笑しかったのか、嬉しかったのか?その黒人は、立ち止まって
振り返り、サックスをぶら下げて眩しそうにしている半身(はんみ)の私になお近付き、


My Son! You love Jazz?」

と私の肩をパンパン叩いてきました。私のサックスケースに、白マジックペンで
I love Jazz」と書いてあったのが目に入ったのでしょう。正直私は、


「誰やねん?このおっさん。こっちは急いでるのに!」

と大阪弁で思ったと、記憶の端にあります。しかし、直ぐにその失礼な思いは
ぶっ飛ぶことになりました。肩をパンパン叩かれながら私の全身の血が下へ下へ
流れ始めました。

私自身、自分の眼は「嘘つき」だと思い込んでいるようで、眼球よりも脳に頼ろうと、
必死に血を脳へ送り込もうと心臓と呼吸が活発化していくのがわかりました。

脳の複雑な分析が終わり、自分の眼球との平和的解決が成された末、
結果的に出た言葉は、

「アートブレイキー?」

その単語だけ。アーユーもエクスキューズミーもユーも当然パードンも何もなし!
多分、あの時に私の英語に関する膨大な知識?は「アートブレイキー?」の
一言に集約され、すべて放出されたのでしょう、以降、私の人生であの一言より
長い英語を話した記憶がありません。と言いたいところですが実はもっと長文を
発したことが有るのですよ。


それは

「ジョニーグリフィン?」

ほらね、字数が長いでしょ!

 ま、冒頭でご案内しましたように、グリフィンとの事件はこのアートブレイキー
云々の後に掲載いたします。

では、第二回「ええっ!演るの?」をお楽しみに!