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「遥かな道、テナー街道」編
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第二回「お後がよろしいようで!」

(遥かな道、テナー街道)
 「なんじゃこりゃ!」

の雄叫びと同時に湧いてきたのは、父に対する憤慨。

 全くジャズというものに関わっていない人間ならともかく、
仮にも、いやそんなレベルではなくプロとしてジャズで飯を喰っていた人間にもかかわらず、トロンボーンとサックスを間違うとは・・・・!
いや、間違いならばまだしも、意識的な仕業と見た私は

「親父、これはサックスじゃないか。
僕がやりたいのはグレンミラーやトミードーシーのトロンボーンだよ」

父は何食わぬ顔で

「ありゃ難しいぞ、ま、これでも吹いておけ」
と・・・・

何たる傲慢、何たる人ごと無責任。

トロンボーンが難しくてサックスが簡単とな?許しがたい暴言冒涜!

 そのときの私の怒りの矛先は、相手に大変ご迷惑なことではありましたが剣道の技に向けられ、基本練習の「切り替えし」しという準備体操(実際には奥の深い技)に向けられ、「あばれ剣士」として、師範よりお叱りを受けておりました。

が、実際のところは自分に対する憤慨であったのです。

正直なところ、トロンボーンが簡単そうに見えただけ。

 サックスという楽器はたくさんの部品が散りばめられ、指で押すキーボタンなぞ、まるで蛸の吸盤の如く。
元来、「困難からの逃避」という愛すべき、いや憎むべき性格ゆえにその姿形に恐怖感を覚えた訳です。
逆にトロンボーンはキーもなにもなく、ただスライドを伸び縮みしているだけで吹けるのではと甘い考えが根底にありました。
それを父に見透かされたような気がしたもので憤慨へと・・・。

青春時代の真っ只中にいる若者の性でしょうな。(何?良いように言うなと?)

しかしながら、おぞましいテナーサックスといえどもケースに入れたままで、埃やカビに苛まれるのはあまりにも勿体無いと奮起しました。

ある夜、家族が寝静まり、外はしんしんと闇に埋没している丑三つ時、
何処からともなく聞こえるお寺の鐘と犬の遠吼え。
私は、ばあちゃんの片身の長襦袢を肩にかけ、重い蔵の扉をそっと・・・(ナイナイ!)

ケースを開けました。
そこには、黒っぽい緑色に変色したテナーサックスが。

「汚い!」

何と!このテナーサックスには首が、ない、というよりも首が、離れてる!

「ギャ〜〜!!」

サックスというのは本体とネックが別々なのですよねえ。
その二つを合体させ、レコードジャケットで見たベンウエブスターやレスターヤングのように持ち上げてみました。

「重い!」

瞬間、「この楽器は私の人生の良きパートナーとしては私自身、好みません」

と、たどたどしい英文解釈のような気持ちになりました。が、
首からぶら下げるためのストラップを見つけ、ぶら下げてみると案外軽く感じる。

そして、やはりレコードジャケットをまじまじ眺めながら、マウスピースとリードを取り付けて恐る恐る吹いてみると

「ボ〜〜、プ〜〜、ピ〜〜」

なんと、生涯で初めてサックスなるものを吹いて音が出たのです。

有頂天とはこのこと。

次の日、早速盟友である越前屋と大黒屋、それに旗本の悪大官や盗賊頭までもを召集して

「やっぱりこのご時勢、ジャズはサックスよのう!」

と事後報告をしてのめりこむことに。

さあ大変、ただでさえ、ばたばた貧乏の気性なのに拍車がかかり、それはもう勉強なぞしてる場合ではない。

 人間は面白いもので、制約があるほど奮起する。
限られた時間でものごとをする、したい(ここが肝心!)と思うと俄然はりきる。

命令には反発するが、自分の欲望には従順な私。
早弁するな!と言われりゃ夜通し策を練ってでも早弁する。早弁しろ!と言われたら(誰が言うか!)辛抱して昼休みまで弁当を食べない。
 世に言うへそまがり!会社員の鑑ですな!

 しかし、こうなると何事も

「中〜途半端はやめて〜♪♪♪」

とかつてヒットした歌謡曲の歌詞の気持ちになり、剣道は日々の習慣として
「落語」にも没頭するようになりました。

 家に帰ってはサックスを吹き、そのうちだんだん曲が吹けるようになる。
以前は椅子に腰掛けて演奏の真似事をジェスチャーだけでやっていたものが、今は
本物の楽器がある。
サックスのソロパートを必死で耳コピーし、自分が吹いているような錯覚に陶酔することが日々練習となり、不思議なことに、耳コピーすることが早くできるようになると共に、落語のネタも早く覚えることが出来るようになったのです。

そのときに覚えたネタは

初天神、じゅげむ、青菜、いかけや、いかけや盗人、相撲場風景、浮世床、宗徳院、
寝床、新作ぜんざい公社、東の旅、伊勢参り、時うどん、地獄八景亡者の戯れ、
犬の目、子ほめ、皿屋敷、米上げいかけ、道具屋、夏のちしゃ、へっつい盗人、
饅頭こわい、ちりとてちん、禁酒関所、親子酒  (今日はこのくらいにしといたろ!)
という上方落語の数々。

 現在はほとんど忘れてしまいましたが、高校時代の学園祭では実際に披露したものです。

 若いというのは恐ろしいもので、今では人の名前は出てこない、漢字は忘れる、自分の携帯番号やメールアドレスに至っては、人に聞く始末。
ライブで演奏していても曲名が思い出せず、メンバーに聞く。いやはや!

そんな折、とんでもない話が舞い込んで来ました。

ラジオの落語番組への出演。

 当時、一斉を風靡していた人気落語家、笑福亭仁鶴師匠の番組で、アマチュア落語のコーナーがあり高校の落語研究会特集がありました。
大阪のラジオ局、「ラジオ大阪」から私の高校に依頼があり、可愛がって頂いた顧問
の先生からの推薦で出演することに。

 なんといっても笑福亭仁鶴師匠の番組ということで、当時の人気番組。
ましてや、あの、仁鶴師匠にお会いできるなんて、そりゃもう夢のような話。

 私にとってはジャズの巨人に会うよりも、仁鶴師匠に会えることのほうが一大事。
天にも昇るような心地で日々、ネタの練習に没頭。
約一ヶ月間、とりつかれた様に練習をしたのです。

電車に乗っては
「しばらくの間、ばかばかしいお笑いをば、申しあげまして失礼をさせていただきます」

道を歩けば
「こんにちは!おーおまはんかいな、まあこっち上がり!」

中間テストに臨んでは
「しかし何ですな、おやっさんは何でおやっさんという名前でんの」
「アホなこと言いないな、こりゃわしの名前やあれへん、ま、愛称みたいなもんやな」
「ああ、戒名いうやつでんな」
「わしを殺すつもりかいな!」

とまあこんな具合。

 元来、何かがとりついたような性格の上に、一世一代のラジオ出演。
もうそりゃ、狐も狸も平家の落ち武者も、座敷童も、地縛霊もとりつく島がないという状態。
万一、そんな者が目の前に出てこようものなら、首根っこひっ捕まえて、

「まあ俺の落語を聞け!聞いて感想を述べよ!」

というわがままの化身状態。
多分、悪霊につかみかかって行って、自ら乗り移るタイプでしょうな。

そんなこんなで1ヶ月は早いもの。
収録日がやってまいりました。

大阪桜橋のサンケイホール横のラジオ大阪スタジオ。

はじめてスタジオなるものに入って驚きました。

「狭い!」

広いスタジオというものを想像していた私にとっては殆ど小会議室。
ガラス張りのスタジオの外には何やら機械がたくさん、ところ狭しと押し込められた状態で、ディレクターなる人がヘッドフォンをして、首から下げたストップウォッチを眺めている。

ガラス張りの中はというと、テレビや映画で見るような警察の取調室の様。
机の真ん中にはマイクがポツンと据えられ実に殺風景。

「こんなところで録音するのかなあ?」と不安げに辺りを見回していると、色黒のひとりのおっちゃんが入ってきました。

「おはようさんです!」

な、なんと笑福亭仁鶴師匠その人!

「ギョえ〜〜!」

と言うまもなく師匠の方から

「こんにちは坊ちゃん、笑福亭仁鶴です。僕のこと知ってる?」

と早口で訊いてきました。
当然知らないわけがない。一日中テレビで見ない日がない。
バラエティー番組、寄席番組、コマーシャルと次々に顔を出し、爆笑の渦を巻き起こす
スターそのもの。
その本人が目の前に居て、私に話しかけてくるだけでも私にとっては映画のワンシーン。
そのスターが私にどんどん話しかけてきます。

「君、今日は何を演るの?他にどんなネタ知ってる?落語の何が面白いと思うの?漫才は好き?狂言や歌舞伎に興味ある?三味線や太鼓できる?着物は自分で着れる?いつから落語やってるの?将来落語家になりたいの?誰の落語が一番好き?」

「仁鶴師匠と初代桂春団治です」

「何?初代春団冶?」

この一言で、仁鶴師匠は一瞬真顔になったのです。

「しまった、何か悪い事言ったのかなあ?」

と、私は大変な過ちを犯してしまったような気持ちになり、茫然自失の様相。

普通、そんなスター、ましてや落語という同じ芸を志す者としての大師匠の前で師匠本人以外の(もっとも桂春団治はすでに故人で歴史上の落語家)名前を出すなど、それに派閥もちがう。
仁鶴師匠は「笑福亭」、春団冶は「桂」

ですからその名を出すこと自体、言語道断、無礼極まりないことかもと大後悔。
しかしながら、仁鶴師匠は何かに感心するようにゆっくり腕組みをし、

「ほう!君、初代春団冶が好きか。どこで聴いた?」

の問いに、父の持っていたレコードで聴き、あの早口でまくし立てる抱腹絶倒の噺にはスピードがあって、情景が次々に浮かんでくるようなリアルな表現が新鮮であった事などを打ち明けました。
すると、仁鶴師匠は嬉しそうな普通のおっちゃんの顔になり

「実は僕も大好きなんだ。僕が落語家になろうと思ったのは春団冶を聴いてそう思ったんだよ。」と・・・・

その言葉を聞いて私はホッとすると共に、ここで初めて父に感謝。
よくぞ春団冶のレコードを幼い私に聴かせたものだと。

仁鶴師匠に聞いて知ったのですが、春団冶の録音は稀少だとか。
私の父がよほど落語ファンだったことに師匠は感心もし、幼い息子に聴かせたことを
しきりに喜んでいた様子が思い出されます。

当時既に師匠のお父様も故人であったのですが、そのお父様のことを思い出されたのか何か感慨にふけっているようにも見え、その話しぶりが実に穏やかで人間味溢れた様子であったのを思い出します。

さて収録が始まりました。
ガラス張りのスタジオに入り、いざ、本日の演題「初天神」をしゃべりはじめました。
すると、仁鶴師匠がスタジオにそっと入って来たのです。。

「えっ!どうしたのかな?」

と思うまもなく師匠は収録を中断させるではありませんか。

「ギョッ!」

となって顔から血の気が失せようとしていると師匠は満面に笑みで優しく好々爺、まるで落語に出てくる穏やかで物知りで町内の尊敬を集める「大家のおやっさん」
のような面持ちで

「緊張しなくていいからね、君の好きな初代桂春団冶を思い出してやってごらん。
それと、観客がいなくても高座で本当に演じていると思って、身振り手振りをつけてね。
もうひとつ、こういう場合はお客様の反応を想像して演じなさい。」

実に的確なご指導!

このアドバイスで私は初代桂春団冶のファンから偉大なる仁鶴師匠の弟子になることを決めたのです。

決意が瞬時に固まりましたので、気を取り直し、もう一度最初から演じてゆきました。

「かか、羽織出せ」
 「まあ?羽織やなんて、そんなもん着てあんた何処行きなはんの?」
「天神さんへ参ろうと思てんのや、ごちゃごちゃ言わんと羽織出せ」
 「まあ、天神さんへなあ・・・神参り止めたら止めたもんにバチがあたる言うさかい行っ といなはれ。ああ、そのかわりうちの虎ちゃん、連れて行ってやんなはれや!」
「ええっ!いや、あれ連れて行ったらなに買えかに買え言うてうるさいがな」
 「あんたの子でっしゃないかいな。連れて行ってやんなはれ」
「いや、連れて行かん」
 「連れて行ってやんなはれて!」
「あかん、連れて行かん!」

「と、もめてるところへ、例の虎ちゃんが帰ってまいりました・・・・・・・」

てな具合。

噺はスムーズに進行してゆき、別室のガラスごしに、にこにこと満足そうに笑ってる仁鶴師匠の顔が。

佳境を向かえ、そして「落ち」に入り、無事終了し、最後の〆の挨拶、

「お後がよろしいようで!」

と締めくくった瞬間!仁鶴師匠が憮然とした面持ちでスタジオに入って来て、

「あかんあかん、もっぺんや!」と・・・・・・?

「ギョエ〜〜〜!!!」

           次回、第3回 「太陽にほえろ!」 をお楽しみに